何も起きない朝が、いちばん好きかもしれない

子供を育てる

最近、朝の時間が少しだけ好きになった

最近、朝の時間が少しだけ好きになった。

といっても、

早起きして何か特別なことをしているわけでもないし、

充実したルーティンを組んでいるわけでもない。

ただ、子どもを保育園へ送る朝があるだけだ。


何も起きない、いつもの10分

家を出て、公園に少し寄って、

遊具で少し遊んでから保育園へ向かう。

時間にしたら、ほんの10分ほど。

何かが起きるわけでもない。

成果が出るわけでもない。

写真を撮るほどの出来事もない。

でも、この「何も起きない朝」が、最近は妙に心に残っている。


朝は、次の行動のための時間だった

以前は、朝はもっと慌ただしいものだと思っていた。

仕事の準備をして、時間を気にして、

頭の中ではもう一日の段取りを考えている。

朝は「次の行動に向かうための時間」で、

そこに立ち止まる余裕はあまりなかった。


ただ、そこにいる時間

でも今は、朝にほんの少しだけ、

何も考えない時間がある。

子どもが走り回るのを見て、

それをただ眺めているだけの時間。

会話が多いわけでもなく、

何かを教えるわけでもない。

ただ、そこにいる。


説明しにくい時間の価値

刺激のある時間は、分かりやすい。

楽しかった、

大変だった、

感動した、

成長した。

一方で、

何も起きない時間は説明しにくい。

でも、今の自分には、

その曖昧な時間が必要なのかもしれない。


何も起きない朝が、残してくれるもの

保育園に着くと、子どもはあっさりと中へ入っていく。

その背中を見送って、また日常が始まる。

忙しさも、

やることも、

相変わらずある。

それでも、朝に何も起きない時間があった、

という事実だけが、その日を少しだけ穏やかにしてくれる。


今日も、何も起きない朝だった

もしかすると、

今の自分が一番好きなのは、

「何も起きない朝」なのかもしれない。

何かを成し遂げる前の時間。

評価も、結果も、目的もない時間。

ただ静かに始まる一日。

今日も、何も起きない朝が過ぎていった。

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